豊かさの中で死ぬ子ども 〜黒柳徹子のアンゴラ報告〜 産油国・豊かさの中で死ぬ子ども
                                〜黒柳徹子のアンゴラ報告〜

                         放送日:2008年3月23日(日曜日)
                         午後2時から3時25分

                              

【アンゴラの基本情報】

国土 124.7万平方キロ(日本の3.3倍)
人口 1,590万人
一人あたり年間所得 240ドル(約3万円) ちなみに日本人は、36,545ドル(400万円)
幼児死亡率(0歳から5歳) 1,000人当たり292人(日本は1,000人当たり4人)
兵士  108,400人
産業  石油 ダイアモンド とうもろこし 砂糖 コーヒー サイザル麻

【アンゴラ共和国の歴史と現状】

(歴史)
◆ポルトガル植民地時代
アンゴラはポルトガルの攻撃を受け、1576年に植民地になりました。
ポルトガル支配の間は、何千というアンゴラの人々がポルトガルの他の植民地、ブラジルに奴隷として送られ、
それは1800年代まで続きました。

◆独立戦争
第2次大戦後、ヨーロッパ諸国が植民国の独立を認めていく中、ポルトガルはアンゴラの独立に前向きでなかったため、
1961年アンゴラで独立戦争が勃発し、三大勢力が協力して戦いました。
   三大勢力
      MPLA(アンゴラ解放人民運動)
      UNITA(アンゴラ全面独立民族同盟)
      FNLA(アンゴラ国民解放戦線)

◆ポルトガルからの独立へ
アンゴラ現地での独立戦争と平行して、ポルトガル軍の一部が1974年、リスボンでクーデターを企て、
アフリカ植民地戦争に抗議するリスボン政府を倒しました。
この事態に後押しされ、1974年4月アンゴラはポルトガル植民地政府の追放に成功しました。

(現状)
◆1975年、ポルトガルからの独立以来、長期に渡り続いてきた紛争。世界のどの紛争に比べても、
一番死者を出してきた悲劇の紛争です。
今年2002年3月30日、漸く停戦になりました。
アンゴラには石油、ダイヤモンド、金など豊かな天然資源があり、民族的、経済的利害を巡って争いが
繰り広げられてきました。
これまでに、何度か停戦協定が結ばれ、戦争が収拾するかのように見えても、再び戦争が始まるという繰り返しでした。
しかし、今回の停戦で永久平和が訪れることを、アンゴラの人々も、世界中の人々も祈っています。




【ユニセフ親善大使のこと】

黒柳徹子さんは、1984年にユニセフ親善大使に就任以来、毎年欠かさず途上国視察に出かけています。
今年は24年目となります。

黒柳徹子さんは言います。
「私のやっていることは地球全体からみれば、ほんの小さなことですが、
この地球上に一人でも子どもの笑顔が増えればうれしいです」

募金金額は40億円を超え、訪問した途上国の子どもたちの笑顔は増え続けています。
地球の未来は、子どもたちが背負っていきます。子どもへの投資は、地球の未来への投資でもあります。
黒柳徹子さんの活動を支え続けたテレビ朝日も、国際的に高い評価を得ています。
今年の訪問国は内戦の後遺症に苦しむアフリカのアンゴラ共和国に決まりました。

1975年の独立以来、この国は27年も続いた内戦の中にありました。戦争しか知らない子どもたちがほとんどです。
内戦が終わったいま、その後遺症に苦しみながら、必死で立ち直りに努力しています。
水道、道路などのインフラは壊滅的に破壊され、衛生状態も最悪で、
5歳以下の子どもの死亡率も世界で2位という厳しさです。

この国で特筆すべきは、長期にわたる内戦の結果、地雷と不発弾の多さです。
その数は1,500万個といわれ、この国の人口1,500万人と同じです。
国土の60%が地雷と不発弾で覆われています。
サッカーが大好きな子どもたちに安全な大地をと叫ばずにはいられません。

アンゴラへの黒柳さんの訪問は2度目になります。
1989年が最初の訪問でした。
この時、黒柳さんは、番組の中で、
「もう一度この国へ来てみたい。平和になって、子どもたちが元気に育って、
すばらし国になっているだろうこの国へ」と結んでいます。

      

【取材ノートから】

首都ルアンダは人が溢れ、道路は混んで、慢性的な交通渋滞。数キロ先へ行くのに5時間前に出るのが常識。
石油利権を求めて世界中から人が集まっていて、まるでゴールドラッシュの様相。
ホテルはビジネスマンに独占され空き室はない。黒柳さんのみホテルへ泊まれましたが、スタッフは街の簡易宿泊所に。
宿泊代は、他のアフリカ諸国だと1泊40ドル程度ですが、ここでは85ドルでした。
街のレストランで食べる昼食が一人55ドルにはびっくりしました。

昨年の成長率が20%を超えたと聞きました。
しかし、産油国になっても、精製所はなくガソリンは輸入、ホテルを作るにもセメントも鋼材もないので、
すべてを輸入に頼りますから、簡単ではないのです。
国民が石油の恩恵にあずかるのも、時間がかかると思われます。

内戦で破壊されたインフラ整備も、遅々として進んでいません。
子どもたちの学校が足りません。
どこの学校も、数個ある教室で、午前と午後の2部授業を行っていました。
「夜もやって3部授業にしたいのだが、電気がないのです。どうか発電機をお願いします」
どこの学校でも黒柳さんは依頼されました。
先生も不足しているので、養成が急務です。

乳幼児(0歳から5歳)の死亡率は世界2位。
原因の一位がマラリア。
日本政府は途上国用に開発した蚊帳(殺虫剤が染みこませてある)の提供をしています。
現地の人は、蚊帳をつる習慣がないので、教えるのが大変。
文字が読めない人が多いので、絵で描いて教えます。
配布するユニセフのスタッフが執拗に言っていました。
「中に入って寝るんですよ」

首都ルアンダにある青空市場「ロクサンテーロ市場」
3,500店が所狭しと並んでいる。臭い、暑い、カメラマンが動かなくなった。
熱中症気味なのだ。黒柳さんが気づいて、カメラマンに水を飲ませ
「取材はこれで終わりにしましょう」と号令をかけた。
回復したカメラマンが言った。
「あの人は、(黒柳さんは)電池で動いてるんじゃないの?」
スタッフ全員がヨタヨタしているのに、黒柳さんだけが、元気だった。

聖ジョアオ教会で
内戦で親を失った孤児がたくさんいます。
この孤児たちを養子にしているお母さんたちがいます。
自分の子どもも沢山いて、苦しいのに、孤児を育ってていました。
「子どもには母親が必要ですから」と。
人間としての根源的な優しさを途上国で知り、黒柳さんも感動でした。








感想


宮島良子さん

先日は、こちらにまで、番組のお葉書を送っていただき有り難うございました。
多くの方々の感想を読ませて頂いておりましたが、番組をご覧になったみなさんがそれぞれの視点で、その感ずる思いをすばらしく表現していらっしゃる事に感動致しました。
手厳しいご意見があり、また暖かな労いのお言葉があり、私もみなさんと同じ思いで観させていただいた事をお伝えしたくてペンを取りました。
番組を作る側の方々の感性や感覚でそれを観るすべての人にその思いを如何に限られた時間の中で伝える事が出来るのか、それは私たち素人が想像しえない大変なご苦労がたくさん秘められているのだと感じずにはいられません。
あの子どもたちは、自分が置かれている状況を嘆き悲しんだりすることなく、みんなキラキラして邪心のない瞳で楽しそうにたくさんの笑顔を見せてくれていましたね。
今、私たちはその豊かすぎる位に発展した時代の恩恵を当たり前の様に生きています。その豊かさが知らず知らずのうちに人間の思考を得体の知れない恐ろしい何かに変えていってしまっている様な気がしてなりません。幸せとは・・何なんでしょうか・・・
あまりにも愛に飢えた人間が多すぎる今の世の中・・・豊かさイコールそれが人の幸せに全て結びついているのか、毎日のようにどこかで起きている悲惨な事件を目にする度に考えずにはいられません。

伊藤真衣子さん

豊かになったアンゴラ、でも、豊かさはすぐには国民全てにいきわたらないのですね。
何より一番大切にしなければならない「子供」が後回しになっているという状況は 納得がいきません。
その中で、「子供には親が必要でしょう?」という、当たり前だけど、なかなかできない事を、やってのけるお母さん。
国より先に、あのお母さんが一番大切なことをしてくれていることに、何より感動しました。
番組を見て、母はユニセフに募金をしたいと言い、私は徹子さんの口座を教えました。
私にできる事はとても少ないけれど、できることから少しずつ進んで行きたいと 改めて感じました。
素敵な番組をありがとうございました。

大空真由美さん(ニフティ・社会貢献プロジェクト担当)

23日はすばらしい番組をありがとうございました。
今回、黒柳さんからアンゴラ視察のお話を伺い、インタビューブログを 書かせていただきましたが、文字情報だけのブログに比べて、映像が伝える力のすごさを番組を拝見してあらためて感じました。

青空市場ではお肉に虫が群がっているのを見て、現地の暑さと市場の匂いを感じましたし、風に揺れるウェディングドレスを見て、風の音や夢見る切ない乙女心も伝わってきました。

18年前に訪れた孤児院の様子を見て、子ども達の明るい笑顔に少しホッとしました。ただ、18年前にあそこにいた子ども達は、今頃、どうしているのだろう?とも思いました。3歳くらいの子だったら、20歳を過ぎて成人になっているはず。孤児院を手伝っている人がいたら、話を聞いたりできたらよかったかも?と思いました。
でも、ずっと戦争が続いていたので、そこにいた人が全て入れ替わるような悲しい事件が起きたのかもしれない。。とも思いました。

それから、貧しいお母さんが家に何人も子どもがいても養子をもらうというお話は、やはり感動しました。赤ちゃんの背中(お尻?)をトントンしながら子守唄を歌っている姿を見て、母親のおおらかな愛を感じました。
このお母さんの歌声は、どんな音楽CDを聴くよりも、子ども達にとっては 心地よい周波数の音なのだろうと思いました。

井戸水を新しくできたポンプでみんなで汲むシーンでは、黒柳さんの言葉 (日本語で、確か、水でたかな?でしたっけ?)を周りにいた子ども達が 口をそろえて言っているのが微笑ましかったです。現地の人とすぐに仲良く なる黒柳さんのラポール力の強さが本当に素敵だなぁ、と感じました。

最後に一つ、気になったことがあります。18年前の番組を見て、内戦中に ゲリラに両手両足を切断された子ども達がたくさんいたと思います。
今もまだ厳しい生活が続く中、どうしているかしら?と思いました。
元気でがんばって生きていてくれるといいな。。と思います。

とりとめのない感想になってしまいました。
小学5年の娘といっしょに番組を見たので、以下、娘からの感想です。
「地雷が埋まっていると、自由に歩いたり走ったりできないから、怖いし、
悲しいと思いました。地雷をどうやって取っている(除去している)のか、
知りたいです。国(アンゴラ政府)は、田舎の人たちのことも考えてほしいと 思いました。」

小学生でも理解できる内容でした。そして大きな気づきのある番組でした。 すばらしい番組を、ありがとうございました。

本間ちひろさん(画家)

ご無沙汰しています。
この3月で、大学の教務補佐の仕事をやめ、児童文学と絵の仕事を中心に活動していくことにしました。オメデタも、コトブキもないです。全然。どの仕事も、大好きなのですが、大学事務と、非常勤と、絵の仕事を全部続けるのは、体力的にも、能力的にも、時間的にも、限界となりました。
事務の仕事最後の日から、三日後、母に、何気ない会話で笑ったら、「笑顔が、戻った!」といわれました。
なんだか、笑顔が無かったみたいで・・・。
この一年、そういえば、喜怒哀楽がありませんでした。
感情を箱に入れてしまったみたいだったと、言われました。
そこで、思ったのは、笑いというものは、水輪が広がるようなもので、その輪が広がるためには、静けさと、広がっていく時間が必要なのだということを思いました。 波風が立っているときには、水輪は、見えません。

アンゴラの番組を見ました。
笑顔について思いました。笑いについて思いました。
生活環境の悪さや貧困など、物理的な問題が山積みで、こんなことを言うのは 甘いのかもしれませんが、できるだけ早く、子どもたちに、静かな水輪のような笑いの輪が生まれますように・・・。と、思いました。
今の私には、ささやかな募金しか出来ませんが、でも、もしかしたら、私の書いたものを読んだ子どもが、おだやかで優しい大人になって、アンゴラの子どもたちのためになにかしようと思う人になるかもしれない。
私の書いたものを読んだ大人が、優しい気持ちになって、優しい子どもを育てるかもしれない。
田川さんや、黒柳さんのように、直接的ではありませんが、そんな風にめぐりめぐって間接的に、なにか、いつか、誰も気がつかないところで、ささやかに役に立てるかもしれない。
そんな、私が見ることの出来ない未来への願いを、物語や絵には、こめることが出来るんだ。
と、気づきました。
私は、自分の絵や文章にコンプレックスがあって、仕事があってもいつも不安で、自分より、その絵や文を書くにふさわしい人が、いるのではないかと、思ったりして。。。
でも、今回のユニセフの番組を見て、黒柳さんや、田川さん、スタッフの方々の思いを感じて、人に自分の思いを伝えるすばらしさを感じました。
私は、つたないながらも自分が絵や文章の仕事が出来ることのありがたさに気がつきました。
自分に与えられたチャンスを大切に、これから進んでいこうと思いました。

番組の感想というには、自分のことばかりなのですが、番組を見て、こんなことを思いました。
長くなってしまいました・・・。

<第2信>
いろんな方の、感想を読み面白く思いました。
私は、マンネリとは思いませんです。
一年に一度、この番組を見ると、良心がくじけそうになったとき、支えてくれるよう な気がします。でも、一年経つと、忘れちゃうので、年に一度の放送は、嬉しいで す。
実際に、その場に行って、肌の暖かさを持って伝える黒柳さんの活動は、それ以上も 以下も無いと思います。
同じことを続けていく強さを、学ばなくてはならないと思います。

比べるのもヘンなのですが、私は、前回のカカオのときよりも、今回のほうが印象的です。戦争をやめようとは、よく聞きますが、本当に悲惨なのは、戦争の後の長く続く苦しみなのだということを、肝に銘じなきゃいけないから。
その地味な苦しみは、戦争そのものの派手な惨事に比べて伝えにくいかもしれません が、よく伝わってきて、いいと思いました。
 難民や貧困の子どもたちの笑顔を、日本の塾通いの小学生と比べて、すばらしいと いう言葉で片付けてしまう人がいますが、「学校にも行けないのに笑顔で・・・」と か、それを、悪いとは思わないけど、アフリカの子どもたちの笑顔に、日本の大人は 申し訳ないと思う気持ちを慰められるだけであって、すばらしいというのとは違うように思うのです。
放送を見て、人間の強さのなかの美しさを感じました。
だから、作品としても、私は、よかったと思います。
黒柳さんの、コートやスカーフも可愛かったです。
泥だらけの人々の中に行くときも、きれいな服を着ていくことは、彼女の人々への敬意と意地を感じます。
草原で風に吹かれて一人で、心の中で微笑んでいるような、幸せな静かな時間が、
子どもたち、いや、大人にも一人ひとりに来ることを、祈ります。

桑田弘一郎さん(テレビ朝日元社長)

久しくお目にかかりませんが、お元気でご活躍のご様子、慶賀に堪えません。
先日お知らせ戴いた「黒柳徹子のアンゴラ報告」拝見しました。
現実を直視すれば実に悲惨な話で、絶望的ですらあります。しかし、黒柳さんのお陰でしょうか、子どもたちに希望を与えたい、
少しでもお手伝いしたい、という気持ちに駆られました。(僅かな額で申し訳ないのですが・・・)
一層のご健闘をお祈りいたします。

加藤詔子さん(青森・八戸在住)

春を待ちわびているルンルン気分の油断をしている所に風邪に襲われ 、久々の辛い風邪をたいけんしました。
と言う事で、やっと録画をしていた「産油国・豊かさの中で死ぬこども」を 観る事が出来ました。
そこには美しい豊かな大地と、産油国の豊かさの中にも大きな格差社会が 広がってる事を知る事ができました。
映像で見る限りでは、大人も子供達も身奇麗にしているようにも見えましたが、
いまだにコレラやマラリアで幼い命が奪われるという自分の周辺では考えられない事が、この地球上で起きている現実と、母である私には想像も出来ない貧しさのうえとはいえ、子供を捨てなければならない親の気持ちを思うと心が痛くなりますが、「捨てられた事は忘れよう」と半ばやけくそのように歌わなければやってられない子供達は逞しくさえ感じました。
ユニセフから配られた蚊帳は、はたして正しく使われているのでしょうか、
そんな疑問が頭を過ぎったのは、私だけではなかったようです。
早速、少しですが募金をしてくるつもりです。

正木鞆彦さん(メディア評論家)

田川さん
お久しぶりです。ご案内いただいたアンゴラを見ました。しかし率直に言って、今までの作品に比べて感動が希薄でした。なぜなのかと考えてみると、一つの理由は黒柳さんの「18年前の記憶」が、今回の映像として伝わってこないものですら、視聴者は18年の進歩や、進歩がなかった点などを認識し得なかったのではないかと思うのです。
 そしてもう一つは、甚だ言い難いことなのですが、黒柳さんの活動の映像に一種のマンネリが感じられるのです。
 黒柳さんのお仕事の性質上、彼女の活動にマンネリは無いのかもしれませんが、それを伝えるカメラの視線にマンネリが感じられると申し上げたら、田川さんに失礼なことになるのかも知れませんね。
 しかし、これはお互いにクリエイテイブな仕事をしていることから言えば、特に自戒しなければならないことでしょう。
 それは映像の展開に一種の「予定調和」が見られ、そのことが、視聴者のテンションを失わせることになっているのかも知れません。
 黒柳さんが、子供を抱く。そしてその子に寄せてある「感慨」を述べる。これが黒柳さんの言葉を聞く前に、視聴者にはわかってしまうのです。この積み重ねが、番組から問いかける力を失わせているのかもしれません。
 田川さん、この黒柳大使のドキュメンタリーは、もっと違う方法論を試みてみることはできないのでょうか。

  話は飛びますが、黒柳さんに対する田川さんのインタビューで、黒柳さんの見てきた世界と日本を語ってもらいたいと思います。
 日本は低開発国ではありませんが、国家のフィロソフィーとか、国家のイメージということになると、日本もまた違う意味で、酷い低開発国なのではないかと思います。黒柳さんの体験を通じて、
「国民の幸せ」とは何なのかを問いつめる番組を作っていただきたいのです。日本では毎日のように無差別殺人が起き、政治も生活も逼塞状況が続いています。この状態がずっと続くのだとしたらこれは「緩慢な国家の自殺」ではないでしょうか。日本国が自殺してしまったら、僕ら旧日本国民は、ユダヤ人のような流浪の民になってしまうのでしょうか。
 黒柳さんの力を、田川さんの良識を今こそ日本にも向けて欲しいと願っています。
 これは番組の感想になっていないかもしれません。失礼をお許し下さい。

田村照代さん(アンクルン奏者)

番組、拝見しました。
子供たちに対する分け隔てのない徹子さんの自然な笑顔や物腰にいつもながら見とれ、時折映るカメラを構える田沼さんやTシャツ姿の田川さんらしき人物を見て、長きに渡るその地道な活動に思いを馳せました。
富裕層ではない人々が施設から子供を引き取って育てている事に深い感銘を受けました。
沢山の笑顔と日々の幸せがあの子供たちにも訪れるようにと、祈らずにはいられません。
出来る事なら10年後の彼らの様子を改めて見てみたいと思いました。
それにしても、番組終了直後に流れた局の番組PRに、日本のお気楽な現実を思い知らされました。
衛生的な飲み水を得ることさえままならない人々がいる一方で、大盛り食品をこれでもかこれでもかと食べ尽くす企画・・・。
それを面白がって見る我々・・・。
同じ地球に住んでいるのになんだかなぁ・・・・・・・・・・・・。
番組とはまた違う深い溜息が漏れました。

廣淵升彦 さん(国際ジャーナリスト)

拝見しました。識字率が10%以下という現実の厳しさがよく出ていました。
徹子さんは混じり気のない愛情を子どもたちに注いでいることがよく分かり、感動的でした。
初めて観る視聴者も多かったと思うので、「なぜ内戦が起きたのか」を、あんまり重くならない程度に解説してほしかったです。1976年に、イギリスのテレビは明けても暮れても「アンゴラ」ばかり取り上げていました。秋に帰国して報道の部長会でアンゴラの大変さと内戦が世界情勢に及ぼす意味について発言しましたが、局長はじめ誰ひとりとしてアンゴラなるものを理解していませんでした。その状態は今も同じだと思います。報道のプロであるべき人たちがこの状態ですから、一般の方々がアンゴラの悲劇の原因を知らないのは当然です。原因を語れば番組は重くなりますし、取材上の制限もあったのかも知れませんが、少しは触れてほしかったと思います。

収穫が2つ:
1つは、石油が出るということで、その資源を求めて「中国の方だと思いますけど」この国に来ているーーと言及されたこと。これは中国の資源外交の現実についての鋭い目配りです。ヒットでした。
2つめは、「アンゴラ人が奴隷としてブラジルに売られて行った」ということを、踊りを通じて語ったこと。米大陸というととかく北米にばかり目が行き、アメリカに売られていった黒人奴隷のことだけしか考えない日本人が多いですが、アフリカ西岸から南米に売られていった黒人奴隷のことも考えるべきです。地図を見ても西岸から大西洋を越えれば、アフリカと南米はいかに近いかということに気付くはずです。そういう当たり前のことをさらりと語ったところに価値があったと思います。
よい番組をおつくりになりました。あらためて敬意を表します。

神谷幸子 さん(HP読者)

番組を拝見しました。 黒柳さんだからこその母性と表現があふれ、アンゴラの現状も大変よくわかりました。
ああして、映像とナレーションで伝えてもらうことは、やはりテレビならではのことだと感じます。
撮影道中は計り知れないご苦労もおありでしょうが、私はあの番組を見て確実に胸に響きましたよ。
お給料がもらえたら、ささやかながら募金をしようと決めました。
これも塵も積もればなんとやら、だと勝手に思い。
いい番組を日曜午後の昼下がりにゆったり見られたこと、感謝します。
田川さん 番組作りに携わった方全てに「おつかれさま」と言いたいです。

戸井民江さん(「ビビ」読者・山口県在住)

皆様 大変なお仕事をなさっていらっしゃるのですね。
すばらしいお仕事をなさっていらっしゃるのですね。
感動致しました。
地球には、いろんな国で、いろんな条件下で生活している子供達が沢山いるのですね。
それを身近に感じることが出来ました。
私のすぐそばに子供達がいるような気がします。子供達の笑顔がすばらしかったです。黒柳さんもすばらしかったです。
自分の贅沢さに身の縮む思いです。
この番組のおかげで少しは謙虚な人間になれそうです。
本当に良い番組を有難うございました。

 

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