はぎ やき
(題字:三輪休雪)
〜茶に培われた400年〜
(ハイビジョン作品・60分)
【放送日】
第1回 8月26日(土曜)20:00 BS-9(ハイビジョン放送)
第2回 10月6日(金曜)13:55 YAB( 山口朝日放送で通常放送)
第3回 11月25日(土曜)14:00 BS-9(ハイビジョン放送)
第4回 12月29日(金曜)午前10:40〜11:45 YAB( 山口朝日放送)
なお、BS朝日(12月1日放送開始)の試験放送ではたびたび放送されています。
【萩焼の沿革】
萩焼が大量生産時代を生き残り、日本人になお愛され続けているのは、日本人の美の原点である“侘び”を感じさせるからです。
侘茶を愛した豊臣秀吉、その指南役であった茶人・千利休、彼等が日本の“侘び”を完成させます。
“侘び”を求めて朝鮮に出兵した16世紀末の文禄・慶長の役は、俗に“やきもの戦争”といわれ、“侘び”表現にたけた陶工二人が日本に連れ帰られました。
その名を「李勺光」「李敬」といい、兄弟だったらしい、といわれています。
秀吉と毛利輝元との親しい関係から、この二人は萩にやって来ます。
彼等が萩にご用窯を開いたのが400年前。
萩焼の始まりです。
その後、秀吉は千利休に切腹を命じます。
指南役がいなくなった秀吉は、利休の7人の弟子の中から古田織部を指名します。
「のう、織部、利休の茶は、しょせん町人の茶だ。いいか、その方、われら武家にふさわしい茶を工夫せよ」
利休に対する劣等感が吐かせた言葉でした。
織部は次々に新機軸を編み出します。
利休が茶室の小窓はの、ほのかな明かりを好んだのに対し、織部のそれは明るく開放的で秀吉の好みに合ったようです。
利休の茶碗が小ぶりで簡素淡泊なのに対し、織部のそれは、形の歪んだものが多く、動的で、色彩も豊かで文様も多彩になりました。
古田織部と毛利秀元(毛利輝元の養子)の親交から、萩焼は古田織部の影響を大いに受け、今日に至っています。
明治維新後、民間にも窯が許され、山口市などにも窯ができ現在では、萩市、長門市、山口市の三拠点で、登り窯が煙を上げています。
【萩焼の特徴】
1)用土
大道土(だいどうつち)
見島土(みしまつち)
金峯土(みたけつち)
いずれの土も萩近郊で産出されます。
配合率は作家によって違いますが、撮影でお世話になった岡田裕さんの場合(7:3:1)だそうです。
萩焼の素朴さはこの用土に負うところが多いでしょう。
2)釉薬(うわぐすり)
わら灰釉:わら灰と長石を混ぜて作ります。
左:釉薬をかけている 右:焼き上がり
木灰釉:雑木の灰と長石を混ぜて作ります。
左:釉薬をかけている 右:焼き上がり
3)登窯
傾斜地を利用して4個から5個の窯が下から上に連なっています。
一番下の窯から焚き始め、順次、上に移動して焚いていきます。
下の窯の余熱を利用する効果的な方法です。
燃料には“赤松”を使います。油分を含んでいて、炎の長さが長いからです。
電気釜やガス釜では、条件が一定ですから、想像通りの作品が出来ますが、登窯の場
合、その日の気象条件や投入する薪の量などによって、出来上がりが違います。
この偶然性が登窯の特徴で、作家が魅了される所以です。
【制作工程】
1. 土採取
2. 土こし
3. 土踏み
4. 成形(ろくろ)
5. 素焼き(700度から800度)
6. 釉薬
7. 窯積み
8. 火入れ(40時間、登窯で赤松を燃す)
9. 火止め(2・3日後に窯だし)
【萩焼の特徴】
萩の七化け→水がしみ込むから、長い間使うと色が変わる。これを“茶慣れ”という。これが萩焼の楽しみの一つ。
釉薬の使い方いろいろ→溶け切れなっくてちじれを起こす。これを“梅花皮”(かいらぎ)という。
形は織部の影響を受け、変形した動的なものが多い。
他にも、単調さを補う手法に、割高台(わりこうだい)、削目(そぎめ)、胴締(どうじめ)などがある。
【萩焼作家たち】
三輪休雪さん(人間国宝)90歳
大胆な釉薬使いで、素朴さの中に、豪快に生きる力を感じさせる。
茶碗はお茶の道具を乗り越えて芸術作品になった。
【展覧会のご案内】
伝統と革新「萩焼400年展」