悲劇の内戦・少年は銃で人を殺した

〜黒柳徹子のリベリア報告〜

  放送日 9月24日(日曜日)ごご2時から
         テレビ朝日系列

「リベリア」について

リベリアはアメリカの黒人奴隷を解放して受け入れるために1847年に建国されました。
大西洋に面した西アフリカにあります。


「リベリア」は自由の国を意味します。
解放された奴隷はアメリコ・ライベリアンと呼ばれ、意識も生活様式もアメリカナイズされていました。
アメリコ・ライベリアンは土着の人たちより上等な人間として振る舞い、彼等を長い間、支配しました。
争いの芽が、ここにあります。
地元軍人のドゥ大統領の登場(1980)で、アメリコ・ライベリアンの支配が崩壊し、長期政権が続きますが、1989年、政治腐敗と部族対立を主要因として、反政府軍が反乱蜂起して、7年間におよぶ内戦が始まりました。(1989〜1997)

人口250万人から260万人(推定)
武装ゲリラ勢力 7団体
国外流失難民  74万人
国内避難民   150万人
死者    25万人

一般市民を巻き込んだ、理由もない殺戮や略奪が行われました。
被害をうけたのは立場の弱い子どもたちでした。
市民として紛争に巻き込まれるだけでなく、約6,600人の 子どもたちが少年兵として戦場に送り込まれました。
中には6歳の子どももいたと言われます。

子どもが扱える小さく軽い銃が広く普及したことがその大きな原因です。また、脅かしやすく、命令通りに働き、給料を要求しない子どもたちは軍隊にとって扱いやすい存在だったのです。
1996年に内戦が終結。
それ以後、リベリアは世界から忘れられた国になりつつあります。
戦場から子どもたちが通常の社会に復帰することは、簡単なことではありません。
家族や社会 から受けるべき愛情や教育なしに育ち、心に大きな傷を受けた子どもたち。暴力に慣れた彼らは、脅かされたり、退屈しただけ で暴力に走る危険性があるのです。

             

リベリアの現状

水力発電所は破壊され、ディーゼルエンジンで少しの電気が作られているが、国民は電気なしの生活が続いている。
浄水場も破壊され、水道は一切ない。井戸水に頼っている。
教育も殆ど行われていない。わずかにNGOがサポートする学校が2.3あるだけ。
識字率20パーセント。読み書きが出来る人が20パーセントしかいない。
医師は全国で32人と聞いた。

5歳未満児死亡率=1,000人当たり236人
(日本は1,000人当たり4人)
保健施設も劣悪で保健婦の数も絶対的に不足している。
電力不足からワクチンを保存する冷蔵庫も使用できない問題も大きい。
ユニセフでは次のような予防接種を行っている。

結核
3種混合
ポリオ
はしか
    など。

大臣の給料が35ドル(米ドル)、これでは、生活できないから、みんなが他に仕事を持っている。
国民一人当たりの所得83ドル(米ドル)
日本は約4万ドル
               

              破壊された水力発電所


                

双子を産んだ母親と話す黒柳徹子さん
栄養不足で二人の大きさが違う

手作りの保育器が悲しい
ヒヨコを育てた経験を思い出した

両親を失った少女はインタビューが終わっても離れようとしなかった

大統領を表敬訪問

テイラー大統領はNPFLというゲリラ組織を率いて内戦を戦った人物で、国際的に評判が悪い。
理由は、隣国シエラレオーネの反政府ゲリラを支援しているからだ。そのゲリラが採掘するダイヤモンドをリベリア経由で密輸させていると思われているからだ。
反政府ゲリラはその代金で武器を買い政府を攻撃している。
このダイヤモンドは、コンフリクト・ダイヤモンド(Conflict Diamondo)と呼ばれ、購入すると、間接的に人殺しに加担する事になり、決して幸せをもたらさない、と世界中から嫌われている。
ダイアモンド問題が主な理由で、アメリカもヨーロッパも経済制裁(国会で議決されたものではない)を続けているので、荒廃した国土の復興は遅々として進まない。

            
          チャールズ・テイラー大統領

 17歳の元少年兵

 「人を殺しましたか?」
 「うん」
 「何人くらい?」
 「たくさん」
 「銃で?」
 「うん」
 「大人?子ども?」
 「両方」

 見境なしに殺したようです。

 「いま、そのことを、どう思っている?」
 「戦争だから」

 彼は、表情を変えることなく、さらりと言った。
 アップで少年の表情を撮っていたカメラマンが言った。
「表情が変わるだろうと思っていたら、変わらないんだ。怖かったよ」

 ご主人を殺されたご婦人

 「殺された理由は何ですか?」
 「いい暮らしをしているらしい、そんな単純な理由です」
  国中が理由なしの殺戮現場だった。
 彼女はボクらのインタビューに条件を付けた。

 1)誰も見ていない室内で撮影すること。
 2)名前は出さないこと。
 3)顔はモザイクをかけて分からなくすること。
 4)音声を変えること。

 密告者に通報される恐怖があるからだ。
 ご主人を殺した相手は、現政権を作っているゲリラ組織だったらしいと、彼女は思っているから、怖いのだ。
 二人の子供は立派に育っているそうだ。

 「結婚は?」
 「男なんか信用できないわ!」

 吐き捨てるように言って、出ていった。

 教育もほとんど行われていない。
 医者が全国で36人しかいない、と聞いた。                                          

  ストリートチルドレン

 「毎日何をしているの?」
 「アルミニウムと銅を拾って売っているんだ」
 「食べるのに十分?」
 「十分じゃないけど」

         
    この少年は、シエラレオーネからの難民だ。村を守ろうと敵と戦って両手を切られた。
    両親はこの子を引き取ろうとしない。
    隣国シエラレオーネでは、いまも、激しい内戦が続いていて、難民がリベリアにも多数流れ込んでいる。


【黒柳徹子さんからのファックス】9/19

(9月18日、ナレーションを録音して番組は完成しました。翌日黒柳さんから来たファックスです。掲載承認済み。)

私はこれから、1年かけて、みんなに、この国のことを、日本の人達に、講演などで伝えていきます。
 そして、なるべく多くの募金を集めて、リベリアの子供のために使うようにします。
 また、昨日は本当におつかれさまでした。うまくまとめて下さって。
  子どもたちは可愛いです。だから本当に可哀相です。
 少年兵は、まるで日本の軍国少年のようで、帰り道、涙が止まりませんでした。
 きっと、あの子ども達は、心の中で“一体 何がいけなかったんだろう?あの時は、よくやったつて いったじゃないか。なんで、いま、こんなことになるのだろう”と 思っていると思うと、また可哀相です。
 もうじき出る、小説新潮の私の連載のものに、帰ってすぐ書いたリベリアのこと、載っています。
急いで 書いたので、まだ 手ぬるいですが、帰ってその日から書かないと間に合わなかったので徹夜でしたけど。
        では お元気でね 徹子 

【リベリアからの手紙】9/23

 澤 良世様
(ユニセフ駐日事務所広報官)

                          スコラステリカ・キマリョ(ユニセフ駐リベリア事務所所長)


               まず、黒柳徹子ユニセフ親善大使のリベリア訪問を可能にしてくださった、あなたとユニセフ家族一人ひとり、とくに駐日事務所、西部・中部アフリカ地域事務所(アビジャン)、ニューヨーク事務所(広報部)、セネガル事務所、そして、リベリア事務所の職員に心からお礼を申し上げます。

 リベリア国内の現在の治安状況、そして、リベリア現政権と援助拠出国の緊張関係のために、黒柳さんと同行の人々がリベリアのロバーツ空港に降り立つ瞬間まで、黒柳さんの視察がキャンセルにならないようにと、私たちは、息を止めて祈っていました。

 でも、黒柳さんと同行の人々はリベリアに来てくださいました。
 ラジオで、新聞で、黒柳さんの訪問を知った人々、また、幸運にも黒柳さんに直接会うことの出来た人々は、黒柳さんの訪問を、国際社会が、他の戦争の犠牲になっている国々と同様に、貧しいリベリアの人々、特に、子供と女性を完全に“忘れてしまったのではない”事を示す希望の光と見て、心から感謝しました。
 リベリアの人々のこのような気持ちは、黒柳さんも、行く先々で感じられたことでしょう。
 リベリアに住んでいる私たちにも伝わってきました。
 リベリアが世界の中で嫌われ者になりつつあるのは、とても危険な兆候です。
 ですから、黒柳さんが希望の象徴と見なされているという点がとても重要なのです。

 もちろん、リベリアのユニセフ職員も、今回の親善大使のご訪問の準備をした私たちの主要なパートナーも、黒柳さんのような立派な著名人(リベリアの人たちは、黒柳さんの事を“日本のオプラ・ウインフリーと呼んでいました)と、十人ものジャーナリストやテレビ・プロデューサーを、一週間もお迎えする事に、とても緊張しておりました。車両の手配などについても、懸命に準備し、最悪の事態が起こらないようにと祈りながら待っていました。
なにしろ、ジャーナリストというのは、予測不可能な“民族集団”ですから。でも、私たちの心配は杞憂に終わりました。
 黒柳さんは、非常に一生懸命だっただけでなく、とても、おやさしく、思いやりがありましたので、皆、安心してお手伝いが出来ました。
 また、日本のジャーナリストは、私たちがこれまで接した中でも、もっともプロ意識が高く、マナーがいいので感心しました。
 さらに、全員が黒柳さんの希望やアドバイスを尊重されましたので、私たちも、現在の状況の下で、可能な限り、ジャーナリストの要望に応えるように努めました。あなたが、全員のコミュニケーションを円滑にするために果たして下さった役割に、私たち全員が感謝しています。

 最後に、今回の視察は、ユニセフの力だけで実現したのではありません。
 ユニセフの活動のパートナーであるNGO、計画・経済問題省、外務省、情報・放送省、警察、法務省、内務省などの関係省庁が、視察の全期間を通じて、問題が起こらないように全面的に協力して下さいました。
 いまだからお話しできる事ですが、昨年四月、国連と援助拠出国の代表団が、ロファ州で武装集団に拉致された事がありましたので、黒柳さんクラスの著名人が一週間もリベリアに滞在されるというニュースが伝わると、黒柳さんを誘拐して政治的に利用しようと考える集団が現れるかもしれないと、私たちは、ずっと心配していました。
 私が、アビジャンからモンロビアへの移動にチャーター便を使うことに固執したのも、親善大使に国連宿舎があるリバーサイドの私の家にお泊まりいただくようにお願いしたのも、そのような心配があったからです。
 移動にはすべてパトカーの先導が付いたのも、儀典官が同行したのも、同じ理由からでした。

 話が長くなりましたが、あの時期に黒柳さんと同行の人々がリベリアを訪問して下さり、献身的に仕事をし、視察が大成功で、政治的にも治安上も何の問題もなかったのは、奇跡です。
 関係者全員には、感謝の言葉もありません。

 今後も引き続き、ご協力をお願いいたします。



ご視聴感謝します。
感想を頂きました。

軸 丸 勇士さん10/2

24日放映のリベリアの子どもを中心にした番組、出張でしたのでビデオに撮っておき,やっと昨日見しました。
 生々しい様子を垣間見た思いです。
人々が喋っている言葉(なまった英語?)が非常に聞きつらかったですね。
取材での意志の疎通が出来にくかったことでしょう。
 真の平和とは何かをもっと考える必要がある気がします。
でも生きようとするエネルギ−に満ちていました。
 それに引き替え日本の子どもたちの自信と元気のないこと。
あまりにも大きな違いがありすぎます。

 学生達にも見せるつもりです。
もっと自分流の生き方を考えさせるために。

    吉村峰子さん9/28

「映像」の力を感じています。
リベリアの今を映像で拝見し、徹子さんのインタビュー、子どもたちとの時間を見せていただきました。
こんなにも懐かしいあの丸い顔の人たちを見ていて涙が止まりませんでした。なんと力強い「映像」でしょう。
私は、リベリアの内戦が始まり、緊急退避で日本へ帰国してきてから、この10年、折につけリベリアを思い、リベリアの友人の安否を気遣ってきました。でも、この「映像」を見せていただいて、あらためて、視覚的にどんなに私が彼らから遠くなっていたかを思い知らされました。

黒柳徹子さんという女性。
日本のテレビを見る多くの人々がどうしてこんなにも彼女を大切に思い、特別扱いを快くしてきたか。本日、心から納得しました。
私自身も黒柳さんが大好きです。
でも、どうしてそうなのか、ということはつきつめて考えたことはなかったような気がします。

「おもしろいから」
「正直そうだから」
「いいことをしているから」
そして、
「楽しそうだから」

今日の私は、もうひとつ、付け加えます。

「子どもを抱きしめてくれるから」

徹子さんの他の映像を見たこともあるのです。
でも、今回の「映像」ほど心に迫るものはありませんでした。
私自身もリベリアに暮らし、エチオピアに暮らし、という経験があるのです。でも、徹子さんがあのリベリアへ行ってくださり、たとえ数名であったとしても、リベリアの子どもたちを抱きしめてくれて、ほんとうに嬉しかったのです。
子どもたちは多分、日本における徹子さんのことなど何も知らないでしょう。
でも、嬉しかったでしょう。精一杯おしゃれをした女の子がインタビューを終わっても離れなかった、というナレーションがとても切なく嬉しかったです。

リベリアのチャ−ルズ・テイラー現大統領は、今でこそ、隣国のダイアモンド密輸の疑惑で国際的に批判されているようですが、その前からとてもとても評判の悪い人なのです。
私は、彼の育った村出身のリベリア人女性と親しかったのですが、彼は子どもの頃から非常に問題があったようです。
幼馴染の彼女いわく、 "I wouldn't hire him even for a dog keeper!"と言うことでした。
彼女は、彼の出身村の村長をしていたMrs.Titusという人で、リベリアキルトの復興に力を注いだ素晴らしい人でした。
もちろん、いまはどうなさっているか、消息はわかりません。
彼女のこのコメントは、内戦が勃発した直後のことです。彼が反乱軍の親方だった頃のことです。
そうです、あの頃の彼の評判は最悪でした。
メディアがコントロールされていなかったので、自由に彼の批判も書かれていました。
それに、彼はアメリカでは犯罪者です。ボストンの刑務所で服役していたこともあるのです
。リベリアの新聞にも詳細が載っていました。不思議ですよね、「脱獄」したそうです。

それでも、徹子さんの最後の言葉が嬉しかったです。
「国際的には問題のある国です。でも、子どもたちにはなんの罪もないのです」
 そうです。あの子たちだって、遊びたい、勉強したい、親に甘えたい、普通の子どもたちです。
私も私の関係のあるあらゆる場所で現実的にお金を集めます。

映像の冒頭で、多くの若いお母さんたちが赤ちゃんを抱えて病院に並んでいましたね。
言葉も違えば、習慣も環境も違うリベリアのお母さんたち。
私がリベリアに赴任した最初の頃、日本の青年海外協力隊の助産婦さんが言った言葉を忘れられません。

「日本の人は、アフリカの女の人はあんなにたくさん赤ちゃんを産んでいるから、たとえ一人や二人子どもが死んでも、そんなに悲しくないんじゃないか、と思うかもしれない。
でも、それはすごく違う。日本のおかあさんたちとまったく同じ。自分の赤ちゃんはかわいくてかわいくて仕方がない。赤ちゃんが死ぬ、ということがどんなに彼女たちにとって辛くて悲しいか、日本のお母さんたちとまったく一緒なの」

あえて言えば、この「映像」で伝わってこなかったのは、あのリベリアの「匂い」でしょうか。
暑さと湿気と赤いパームオイルと、唐辛子、そして、人々の体臭の交じり合った、あの「匂い」です。
それをいかに私たちの身近にいる一人一人の人に伝え、彼らの苦しみを理解してもらうことが、リベリアに生活し、リベリア人を友人に持つ私たちの役目なのかもしれません。

徹子さん、そしてこの報告に関わったすべてのみなさん、ありがとうございました。

星野亜紀子さん9/27

こんばんは、
日曜日、テレビを見ました。
懐かしいライベリアンイングリッシュに、涙が出そうになりました。
英語に英語の通訳、、、、でしたね。
私が難民キャンプ取材に同行した時もライベリアンイングリッシュの通訳でした。

連日のようにオリンピックのニュースで盛り上がっています。
オリンピックにはリベリアの選手も参加していたと聞きました。
オリンピックもいいけれど、同じ地球上でこんな目にあっている人達がて、、、、。
お金の使い道、考え直してほしいです。

リベリアには、必ずもう一度訪れたい、、、と思っているのですがどうなんでしょうね。
テレビを見ていて本当に複雑な想いでした。

取材、お疲れさまでした。
でも、これでリベリアのことを知ってくれた日本人も増えたはずです。
放送しきれなかった映像もたくさんおありなんでしょうね。
全部一つ残らず見てみたい気持ちです。

なんだかとりとめのないメールになってしまいました。

言葉が見つからないんです。
私が暮らした場所ですから、、、、。
戦争なんてまったく関係ないことだと思って生きてきましたから。
どこかの国で戦争が起きていたとしても、それが私に直接関係してくるなんてあり得ない、と思って生きてきましたから本当に言葉が見つからないのです。
では。

梶 文彦さん9/25

番組拝見しました。
見るたびに、私に何ができるのかを考えさせられる時間です。
酒を控えて、その後のラーメン一杯をやめることで、どれだけのことができるのかを、この番組は考えさせてくれますね。
根気よく続けていらっしゃる田川さんと、スタッフに皆さんに拍手です。
たくさんのことを皆さんがおっしゃっていると思いますので、私が気になったことだけ書きます。異論がありそうですが……。

 少年兵であった子供に、幾度かインタビューをされていましたが、質問を聞きながら、少年兵の方は、どのように答えたらいいのか困ったのではないかと思いながら見ていました。番宣で「人を殺した少年兵が心の傷が癒えない……云々」と書かれていましたので、それが気になっていたのかもしれません。

 彼が人を殺したのは、「戦争」という状況の中です。たぶん、誰でもああした状況の中で生きていれば、同じようにせざるを得ないのではないかと思います。彼にとっては,そうせざるを得ない状況の中で、「兵として、村を守るために人を殺した」のですよね。
それが「良い」状況でないことはいうまでもありません。
しかし平和にトップリ浸かった私たちの視点から、「少年が銃で人を殺さざるをえない状況にある」「それは大変なことだ」と言うのはいいかもしれませんが、当の少年に対して、「あなたは人を殺すという、大変なことをしたのね」というのは、それは残酷なことではないかという気がしていましたが、どうなのでしょうか?
黒柳さんの「誰を殺しました? 大人?子供?」というような質問は彼にそのことを思い出させるツライ時間になったのではないかと気になっています。
 それを知りたいという気持ちはわかりますが、私は聞かれた少年は、へっちゃらなのでしょうか?

少年兵には、できるだけ罪の意識をもたずにいて欲しいと思います。
というよりも、彼は村人にとっては「英雄」ではありませんか? 
彼が人を殺したということは、彼は、村を守るために、「逆に殺される危険の中に飛び込んでいった」ということもあるのですから。
しかも、その大きな代償まで受けました。
彼にとっては心の整理はどのようについているのでしょうか?
何をしたら、こういう状況を無くすことができるでしょうか?

  やはり、ここから始めるしかないのかもしれませんね。
酒を控えて、その後のラーメン一杯をやめることで、どれだけのことができるのかを、この番組は考えさせてくれますね。

梶 文彦です9/26

これは、しつこい酔っ払いのたわごとです。

もし戦争になったら、僕はやはり、銃を持って戦うだろうな、と改めて思いました。
若い頃はぜーーったいにしない、と思っていましたが、年老いた母と、女房がいて、子供がいて(もう成人していますが)、という環境の中で私も、銃を持つだろうな……と思います。
しなければ殺される、という状況にははいりたくないけれど、何もしないで殺される……のはイヤだと思います。
死ぬのはいやです。死んでも惜しくない人生でもあります。でも、向こうの勝手な論理でやられるのはイヤです。どんな状況で死ぬか……はこだわりたいと思います。

みなさんは、銃を持ちますか?
少年兵のやったことはまずかったのでしょうか?
かれは、他の選択肢として、何が出来たのでしょうか?
彼の行動が、和平のために何もならなかったとしたら、彼は何を出来たのでしょか?
 同じ状況に置かれたら、僕に何が出来たのか……?

皆さんは銃を持ちますか?
  それで、人を殺した……ということをどのように、自分に納得させるのでしょうか?
  そのことを、正当化する論理はあるのでしょうか?
  もともと戦争なんていう、理不尽な権力亡者の「幻想」が生み出した「現実」に、りんり(倫理)的に理由付けするなんて意味がないのではないと思いますが、わたしも、なんとなく倫理的・論知的な意味付けをしたくなります。
僕は多分、銃を持ちます。
いまから、「あなたは人を殺したのね」という問いに対する答えを、考えておかないといけないなあ……と思っています。

岡部正彦さん9/24

見終わって感動しています。
エッセイ(リベリアからの手紙)を読み、すごく難しい情勢の中での番組づくりが、さぞ大変だったのだろうと思います。
本当にお疲れさまでした。
いい番組をありがとうございました。

櫨本葉子さん9/24

家族揃って、番組を拝見しました。
 私は、字幕朗読係でした。
万里野がしんみりと
 「日本はいいね。いろんなものがあって。お父さんも、お母さんもちゃんといて。」
 「先生がね、『学校に来れるのを感謝しなきゃいけない』って言ってたの、わかったよ。」と言いました。
 小学校と同じ敷地内に中学校があるので、よく見かける中学生と同じ年頃の元・少年兵の話にショックを受けたようでした。

 他局で同じ時間帯に、オリンピックの体操種目別の決勝を中継していました。
 女子選手は15〜6歳の人も沢山いて、複雑な気持ちになりました。

 普段はそんなこと思わないのに、CMの能天気さに、リベリアとは違った意味で、日本もヤバいのではと感じてしまいました。
 特に、どこかの家電メーカーの、ビデオカメラのコピー
 「その時ママはスナイパーになる」
 …がっくりきました。

宮内真理子さん9/24

今日、番組を拝見しました。
現地の様子、子供達の表情(大人もですが)を画面をとおして目の当たりにして複雑な気持ちでした。
私達はこんなに何も不自由なく生活してるのに。
戦争で負った心の傷というのも、大変な事だと思います。
少しですが、私も募金に協力しようと思いました。
日々の生活に追われて、ふだんは考える事がないのが正直なところでしたが、何か私にできることからとおもいます。

しばざき みゆき-san 9/24

今日テレビみました。
本当に切なく悲しい現実だなあと・・・。
ごめんなさい、ちょっと言葉が出てきません。
小さな人たちの姿が目に焼き付いています。
また、番組等お知らせください。
では、また。

吉岡幸子さん9/24

テレビ、見ました。
子供達、悲しい目をしていましたね。大人の世界のとばっちりを受けるのは、いつも 子供です、悲しくなります。
でも、あの環境のなかで自分の将来を見据えている子供達も多くいて、頑張って欲しい、頑張ってねと、抱きしめたい気持ちです。
きっと頑張ってくれますよね。

宮坂和枝さん9/24

「少年は銃で〜」を見て複雑な気持ちです。
地球儀をとりだし、忙しいとは思うけど豊かで贅沢に暮らしている自分と画面のどうしようもないリベリアの今が同じ地球上のできごとであるのを信じ難いです。
両腕のない少年が義手ができたら訓練をしてどんな仕事でもしたいと言うのや、他の子も将来の仕事がジヤ-ナリストや医者になりたいというのを聞き、今日本の恵まれ過ぎた子供はなろうと思えばなれる人程、夢をなくしているように思えました。
取材を受けている元少年兵も仕草は日本人そっくりだったし、徹子さんに抱きしめられた女の子も昔はよくいたタイプで、日本の戦後の復興のようにリベリアやサラエボも悲劇を幸福に変えてゆけるのだろうか、それにはだれがどうすればよいのか。
番組を見た人に問題を投げかけたとおもいます。
現状を正しくまとめて報道するのって大変だなあって痛感。
わたしにできることは募金くらいですが。

柴田甲之進さん9/24

ご苦労様でした。
徹子さんを動かしているものは何でしょうか。
私はオ―ドリーへップバーンの最晩年と重ね合わせて見てしまうのですが間違いでしょうか。
2日間もかけて17回も危険かつ世界の最貧困地に足を運ばれる彼女のエネルギーに脱帽!(取材陣はもっと大変でしょうが、、、、)
もう一つは継続性です。
「あの徹子さんがあれだけ必死にやっているならせめてカンパでも出そうよ」見ている人を揺り動かす何かがありました。
小生も遅まきながら。

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