舞台チャンネル
「マレーネ」
お暑いですね。これは「マレーネ」へのおさそいです。この間、「マスター・クラス」を見ていただきました。お陰様で、銀座セゾン劇場の後、福岡、大阪、名古屋、新潟と、一ヶ月半におよぶ旅でしたが、どこでもマリア・カラスに対して、大拍手! 「ブラボー」の毎日でした。そんな風に、やっとマリア・カラスと別れたところに、今度はハリウッド映画黄金時代の大スター、マレーネ・デートリッヒです。 あのグレタ・ガルボと、その美しさ、神秘性を争った女優です。グレタ・ガルボが三十六歳で引退し、死ぬまで姿を現さなかったのに比べ、デートリッヒは、ドイツ人でありながら、戦時中、ヒットラーからの誘いを蹴り、アメリカ兵をヨーロッパの最前線まで行って慰問し、戦後、戦犯を裁く、「ニュールンベルグ裁判」にも出演し、年を取って、なお美しく映画に出続けました。五十歳を過ぎてから歌手としてコンサートを開始し、世界中を巡業し(日本にも二度、公演のために来ています)皮肉たっぷりな自伝を書き、私生活は普通のオバさんに徹し、九十歳でパリで死ぬまで、人の面倒を見て、なお、死ぬまでデートリッヒでありました。彼女の最初のヒットとなった映画「嘆きの天使」を見て、寝られなくなった若い男性がいたことを私は知っていました。私も大ファンで、いわゆるリアルタイムではありませんが、ほとんどの映画を見ています。「嘆きの天使」をはじめ、「モロッコ」「間諜X27」「上海特急」「西班牙狂想曲」「鎧なき騎士」「情婦」など、四十本。そして、彼女が最も有名なのは、その脚線美です。 演出の高橋昌也さんからお話があった時、私は考えました。“全然、似てない!と言われたらどうしよう…” でも考えてみたら、これは「そっくりショー」ではありません。第一次大戦、第二次大戦を生き抜いた、反骨精神に溢れ、意志の強い、ユーモアたっぷりな女性を演じるのです。これからコンサートが始まるのを、楽屋で少し恐れている中年の女性です。人間らしい人間。助けを必要としている人たちに手を貸すためには、自分が有名であったことは良かった、と思うような女性です。 私は彼女の自伝を読んでから、「やってみます」とお答えしました。とは言っても、作家のヘミングウエイ、俳優のジャン・ギャバン、劇作家のノエル・カワード、歌手のエディット・ピアフ、こうした天才たちと、無二の親友であった人です。後に西部劇で有名になった、ジョン・ウェインに仕事を見つけて上げた人でもあります。そして「ジョン・ウェインは最後まで本を読まなかった。これは映画スターになるには、それ程豊かな教養はいらないことを証明している」というようなことを、軽く言っちゃう人です。あのジョン・ウェインにですよ。でも彼女が、こんな風に、たまらなく面白いと思ったので、私はやってみることにしたのです。 「歌うんですか?」 というわけで、(淀川長治先生が懐かしいですね)どうぞ、「マレーネ」お誘い合わせの上、ご覧下さい。共演の久世星佳さんは、宝塚の男役ご出身の、大変にご自分に忠実な、ステキな女優さんで、私は、ご一緒できるのを楽しみにしています。そして、マレーネの心を、いつも穏やかにしてくれる役の磯村千花子さんも、本当に慰めて下さる方なので、安心しています。 さて、最後に、これは誠にショッキングなお知らせですが、銀座セゾン劇場は、いろいろな都合で、この「マレーネ」を最後に閉館になります。勿論、セゾンも私も、これからも面白い芝居を続けて行く予定です。でも、私の大好きな、そして、皆様も愛して下さったに違いない、素晴らしいセゾン劇場で、私を見ていただくのは、これが最後になってしまうのです。考えただけでも悲しいので、長くは書きません。皆様の笑い声や、拍手の思い出が一杯残っている劇場に、どうしたら「さよなら」が言えるでしょう。でも、ショウ・マスト・ゴー・オンでございます。私がセゾンで演じた実在の女性たち、「カラミティー・ジェーン」「マリア・カラス」「サラ・ベルナール」「キューリー夫人」たちがそうであったように、「マレーネ」も、あらゆる困難を自分で乗り切りました。涙を流さず、笑いながら。私も、そうしていきましょう。皆さん、お手をお貸し下さいね。 最後に、デートリッヒが、アインシュタインの相対性理論について書いた、短い文章を紹介します。 「彼の相対性理論は、一般向けの言い方によると、こうなります。『いつ、チューリッヒは、この列車に停まるか?』」 分かりますか?おかしいですね。
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