舞台チャンネル


「ふたりのカレンダー」

 喜劇が好きな皆様へ

あっ!という間に一年が過ぎ、昨年『ローズのジレンマ』を見て頂いて、もう、この秋の芝居のおさそいのお手紙です。去年の『ローズのジレンマ』は、おかげさまで、笑って頂きましたが、終わりのほうは、男性のお客さままで泣いてくださったという、私にとって本当に幸せな芝居でした。私も舞台の上で泣いていたんですもの。で、上演中から「再演を!」というお声があり、演出の高橋昌也さんをはじめスタッフが「じゃ」ということで、どうやら、あのアメリカの高級リゾート地、イーストハンプトンの装置は、どこかにしまってあるようです。みなさまの「再演を!」という声が大きくなれば、出演者、四人で集まって、すぐ出来ると思います。
さて、今年の芝居は、がらりとかわって、ロシアの芝居です。といっても、まあ、こんな風がわりな女の人は、私、これまで、やった事がないように思います。四年前、実話にもとづいた、もとピアニストのホームレス。あの『ポンコツ車のレディー』、あの人もかわっていましたよね。思い出しても笑っちゃいますが、今回は、本人によると、歴としたサーカスで働いていた、というのですが。そして、独身の、これも風がわりなサナトリュームのお医者さまと出会うのですが。
『ふたりのカレンダー』。題名でもおわかりのように、日々、カレンダーは、きざまれていきます。口の悪い、対立しあうこの男女、最後はどうなるのでしょう。この芝居は、かなり前に、杉村春子先生が、尾上松緑さんと『ターリン行きの船』という題でおやりになりました。その後、越路吹雪さんが『古風なコメディー』という題で米倉斉加年さんとなさいました。後年、私もやらせて頂くようになるなんて!考えてもいない事でした。なんとも、口から出まかせの私の役ですが、終わりに近づくにつれて、思いがけないことになってきます。そして、こんな田舎のような所に、なぜ、名医とも思えるお医者さまが住んでいるのでしょう。そして、包容力のある、でも、どこか孤高の香りのする団時朗さんに、この役はぴったりだ、と幕がしまる頃、みなさまは、胸を打たれるでしょう。そして、私のことも、「あらあらあら、まあ〜」と、笑いながら思って下さることと思います。そして、ちょっぴり私の幸せも、祈ってくださるでしょう。
私は、ソビエト時代、テレビ朝日の開局20周年かなにかのとき、当時、ソ連ナンバーワンといわれた『キオ』というサーカスに、あちらで出演した事があります。「美女ライオンになる」「美女炎の中に消える」などやりました。二千人のお客様は、振り袖を着て、こういう事をやった私に熱狂的に拍手をしてくださいました。なつかしい思い出です。(今回、舞台上にサーカスが出る!と、もし、お思いになったかたは、申し訳ありません、サーカスのシーンはございません!念のため)
芝居を作りあげてくださるスタッフは、毎度のことですが、超一流で、私が尊敬し大好きな方々です。なんか、つらい悲しい事の多かった今年ですが、秋は、この『ふたりのカレンダー』で、ロマンチックな気分も味わっていただきながら、冬に向かっていただきたい!と願っています。いつものことですが、切符が売り切れませんうちに、お早く、ご連絡いただけると嬉しいです。笑って頂けることはうけあいます。ロシアの人達ほどユーモアのある国民はいない、といつも思っています。誰もが笑い話を持っていて、笑わせてくれるのです。長くなりましたが最後、ご存じかも知れませんがロシアの有名な小ばなし。
フルシチョフさんの時代です。クレムリンの中を大声でかけぬけていった男がいました。「フルシチョフの馬鹿!!」
勿論、この男は捕まりました。刑は20年。まず3年は、国家最高権力者を侮辱した罪。あと17年は、国家最高機密を漏らした罪!これは、フルシチョフさんがアメリカに行き、アイゼンハウワー大統領を笑わせるために一般から募集した小ばなし、と言われています。
では、お待ちしています。面白くやりますので!

2005年夏

春に訪問したインドネシア、
アチェ州の津波の被害にあった子どもたちは、
どうして暮らしているのでしょうね。
親も家族もなくしながら、学校の教室からドロを洗い流し、けなげに、机や椅子を太陽にあてて、かわかしていた小さい子どもたちは。早い復興を祈りながら!
                         黒柳徹子


 


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