舞台チャンネル


「ルーマーズ」

 喜劇が好きな皆様へ

今年の秋の芝居は、本当に喜劇がお好きな皆さまへ、ぴったりの芝居です。
16年前、当時のセゾン劇場、今のルテアトル銀座で、これを上演した時、劇場が揺れるほど笑って頂いた回数が七百回!七百回です。これは、大評判だったブロード・ウエイより、さらに面白かったと評判でした。なぜ七百回とわかったか、と申しますと、あまりの、お客様の爆笑に、一体、何回くらい笑って下さっているのだろと、ある日、突然、私は、これは数えてみる必要がある、と思って、駅で人数を数えたりする機械がありますね、カチャカチャやってやる。あの機械を手に入れて、若い裏方さんにドアの後ろに居てもらい、クスクス笑ったのではなく劇場がドット笑った回数を入れてもらったのです。終わりのほう3日間やってみました。3日間とも七百回以上でした。そこで、間違いなく七百回は笑っていただいた、ということで、私たちは嬉しくなったのです。どんな芝居でも、七百回笑って頂くということは、そうないと思います。今回も、そのようになるよう、今から、お約束したい、と思います。

 これは、喜劇作家ニール・サイモンの、本当に脂が乗った時の作品です。『ルーマーズ』(噂)とでも訳すのでしょうか。よく、電報ごっこ、というのがありますが、はじめの人が話した事が、一番最後の人の所へ行くと、全然違う内容になっている。あんな風に、噂というものは、どんどん違った方向に勝手に行ってしまうものです。この芝居は、初演の時、演出の飯沢匡先生が、『ルーマーズ』という原題では、ちょっと、わかりにくいだろう、ということで、『口から耳へ、耳から口へ』という日本題になさいました。今回は、『ルーマーズ』そして『口から耳へ、耳から口へ』が副題という風になっていますので、よく、おわかりと思います。

去年は、『ふたりのカレンダー』という、団時朗さんと、二人だけの、しっとりとした芝居でした(しっとりしてたわりには、はじめのほう、かわった、とっぴな女性でしたが)。でも私は、ああゆう芝居が大好きです。お客様にも、とてもほめていただき、また、いつものようにカーテンコールの拍手も、たくさん頂きました。でも、今年は何か、ぱーっと賑やかで、面白いものもいい、という気持がしていました。演出の高橋昌也さんも、そう考えました。そこで、出演人数が、私たちの芝居としては、大変多い10人。しかも、皆さん芸達者で、ほとんど、間髪を入れずに出たり入ったり、セリフのやりとり。誰か一人でも、間をはずす人がいたら、もう、つまらなくなってしまうという、割れそうな氷の上で、みんなで手をつないで、ハンカチ落としでもしているような、そんなスリル満点な芝居です。ニューヨークの上流社会のお話しです。セットも綺麗で、お衣装も素晴らしく、パーティーにお呼ばれした人たちの集まりですから、本当に、楽しさいっぱいのはずの幕開きが、もう、大変、という、ハラハラドキドキ、やっていても笑っちゃうくらい面白い芝居です。私は、16年前の時、なんか、クッションを取るのに、2メートルくらい向こうからソファに向けて飛んだ憶えがあります。そんな風に、随分、みんな、体を使ってやらないと面白くないところもあります。こういう所も、お楽しみいただける所と思います。出演者の、どなたも、私が大好きな方たちばかりです。私の旦那様は、皆さま、テレビ・映画でお馴染みの益岡徹さん。そして、女優さんは、どなたも、お美しい。男のかたは、どなたも格好がいい。タキシードだとか、とにかく、皆さん、精一杯のおしゃれで集まったところで、事件が始まっている、というところです。あまり、内容についてお話しいていまうと、面白くないので、今年は秘密にしておきます。日ごろの、色々な、このところの鬱陶しい事を、この芝居で、はねのけていただければ、と思います。うんと笑って頂いて、多分、終わって、ああ、お腹がすいた、という風に、皆さんが思ってくだされば、それで私は大満足です。ニール・サイモンもそう思うことと思います。この『ルーマーズ』も、再演の希望のトップにあったものです。いつかはやりたい、と願っていましたので、今回、本当に嬉しいと思っています。
いつものことですが、なるたけ早く、切符をお手配下さるように、お願い致します。いつも、最後のほうになって、切符がない、ということになるので、よろしくお願い致します。笑いながらも、ニール・サイモンのウイットのあるセリフに、皆さまは、うっとりなさると思います。都会的喜劇、本当にニール・サイモンらしい喜劇です。

 ところで、二年前の、やはりニール・サイモンの『ローズのジレンマ』で、私の大好きな旦那さまをやって下さった岡田真澄さんが、お亡くなりになった事は、本当に悲しいことでした。あの芝居も、再演して欲しいと、あの時から言われているものでした。岡田さんも、東京のあと、大阪の公演が終わったとき、再演が楽しみだ、とおっしゃっていたのに残念でした。岡田さんとは、20代からのお知り合いでした。ナマ放送の『夢であいましょう』でも、その他でも、本当に沢山、ご一緒でした。ですから、あの『ローズのジレンマ』の時は、本当に嬉しかったのです。最後に私を抱いてくださって、二人で手をつないで旅だっていくとき、どんなに、岡田さんが、私を優しくみつめて、肩を抱いて下さったか、生涯、忘れることはないと思います。心から、ご冥福をお祈りいたします。でも、本当に、ショー・マスト・ゴー・オンでございます。
 皆さま、今年も楽しくやりますので、どうぞ、おそろいでいらして下さい。お待ちしています。

 2006年 夏

 西アフリカのコートジボワールから帰って、
 大きな自動車事故があり、
 「トットちゃん危機一髪」と
 新聞に出てしまったようなことがありましたが、
 なんとか、元気に帰って参りました。
 内戦の、一日も早い終結を祈りつつ。
 それでは、皆さま、十月に!
             黒柳徹子


 


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