民族紛争の傷跡心に深く |
---|
〜黒柳徹子旧ユ−ゴ報告〜 |
放送日: | 1996年6月23日(日曜) 午後2時から3時25分 | |
制作スタッフ: | プロデュ−サ− | 田川 一郎 |
ディレクター | 田原 敦子 | |
カメラマン | 飯田 協子 | |
VE | 高橋 真一 | |
ナレ−ションスクリプト | 風小路 将伍 | |
音楽 | 大江 光 ヤドランカ |
破壊された新聞社(サラエボ) |
破壊された図書館(サラエボ) |
|
今回が13回目の訪問になりました。 親善大使は無報酬の生涯大使です。 黒柳徹子さんが12年間に集めた募金総額は 20億6千万円。 訪問国の子供達のために使われました。 |
| |
|
墓地になったサッカ−場 |
壁の穴は銃弾の痕(ゴラジュデ) |
死者 | 15万人(一般市民及び兵士) |
国内避難民および難民 | 270万人 |
旧ユ−ゴ全体では | |
死者 | 25万人 |
国内避難民および難民 | 100万人 |
旧ユ−ゴスラビア |
独立した国々 |
サラエボで。
全ての建物が破壊されたといっていいでしょう。
憎しみがあるだけに、その破壊の仕方は筆舌に尽くしがたく、取材班が撮影した映像を是非ご覧ください。
銃弾の打ち込み方もすざましものです。
これでもか、これでもか、と云っているようです。
その他破壊された有名な建物が洩れなく収録されています。
図書館
新聞社
「スナイパ−通り」には、まだ弾よけの土嚢が積み上げられたままになっています。
「ダダダ!ダダダ!」人々は銃弾の音の途切れるほんの数秒間を腰を屈めて走り抜けたのだそうです。
「あたかもゲ−ムのようだった」
住民の回想です。
攻撃する方も人の生命を玩んでいました。
「今日はあの婆さんの左腕を撃った」
「おれは、買物籠を撃ち落とした」
何処からでも好きなものが攻撃の対象となりました。
水が不足しました。一人一日2リットルでした。
電気も不足しました。
食料も不足しました。
サラエボの人口が40万。一人10キロ体重が減ったとして、4千トンのダイエットだったと云ったのはサラエボの文化人です。